・大戦艦「長門」絵葉書
戦前・戦中に発行された軍艦絵葉書から戦艦「長門」を集めてみました。
トップ画像の絵葉書は新造時の長門の写真として有名な物です。
「ハンディ版 日本海軍艦艇写真集1」(光人社)の103頁に同じ物が掲載されており
大正九年十月二十七日、宿毛湾外にて公試中の撮影とされております。
寸法や武装については略正確な数値が記載されておりますが
速力は23ノット(実測は26.5ノット)と、かなり控えめな数値が書かれています。
この速力偽装は、関東大震災の時英艦に追いかけられてバレた話が
「軍艦長門の生涯」(阿川弘之)などに書かれています。
戦前の昭和初期を代表する、曲がり煙突時代の長門です。
この改造は大正十四年に完成しておりますが
やはり「日本海軍艦艇写真集1」の81頁に全く同じ写真が有り
それによると昭和六年九月に横須賀から出航する時の物となっています。
この葉書では武装要目が上の絵葉書より詳しく記載されております。
(備砲 40cm*8、14cm*20、8cm高角*4、機銃*3、発射管*8)
排水量は常備表示から基準表示となり、33800トンが32720トンへ変っています。
但し、速力は23ノットと低い数値のまま変化していません。
近代戦に対応すべく、大改装されて一本煙突になった長門の勇姿です。
・・・
・・
・
いや、いや、いや!ちょっと待て!!
幾ら何でも、此れは当時でも直ぐにバレるだろ?w
二枚目と三枚目の絵葉書を重ね合わせると、ホラこの通り。
海軍ももう少しマシな写真を貸下すりゃ良いのに・・・。
当時の軍艦マニアも「確かに一本煙突なんだけど、何か足りないよーな?」と
この写真を見てコレジャナイ感でモヤモヤしたのではないでしょうか。
因みに本当の大改装は昭和十一年に完成していますので
この変な検閲写真の絵葉書は其の頃の物だと思われます。
翌年の昭和十二年から海軍軍縮条約が失効し、七月には大陸で事変が勃発して
軍関係公表写真の規制が厳しくなって行きます。
この絵葉書については発行年が特定出来ます。
組絵葉書の一枚で、収められていた袋の裏側に
「昭和十七年四月廿三日発行」「株式会社 尚美堂」と有りました。
この頃にはもう個々の艦名は発表されず、要目等一切無しで
「戦闘準備整つた我が戦艦」とだけ書かれています。
写っている後檣の特徴から長門だと推定出来ます。
(副砲用の方位盤と測距儀が分かれている)
この写真と全く同じ物は見つかりませんでしたが
「新版・連合艦隊華やかなりし頃」(海人社)、8頁下写真の長門が
煙突と後檣の周囲、及び艦載機の様子から
略同時期に撮影された物では無いかと思います。
若しそうなら、此れは開戦直前の昭和十六年十月二十一日に
G.T.サンで撮影された一連の写真の一枚でしょうか?
すると上空の九六式陸攻は元山空所属なのかも知れません。