・大戦艦「榛名」絵葉書
戦前・戦中に発行された軍艦絵葉書から戦艦「榛名」を集めてみました。
トップ画像は大正二年十二月十四日に行われた進水式の榛名です。
印刷された文字や記念スタンプの日付はまさに当日の物ですが
そうするとこの写真を当日に撮って印刷するのは無理が有るような気が?
下記サイトで見つけた「東京朝日新聞」1913年11月25日の記事で
「榛名」の二週間前に進水した「霧島」では郵便局で記念スタンプが作られ
料金完納絵葉書及び当日から三日間は記念消印を押す、と有るので
この「榛名」絵葉書もそう云った感じで処理されたのかも知れません。
(東京史楽 百年新報(1913.11.25) 霧島進水式記念スタンプ)
竣工時のシンプルな艦容の榛名です。
艦の後方、三番砲塔と四番砲塔の間に仮設の真水タンクが二つ見えますので
恐らく大正四年一月二十三日に行われた公試の際に撮られたものだと思います。
「ハンディ版 日本海軍艦艇写真集4」(光人社)6頁の記事によれば
この時は排水量27598トンで27.78ノットだったそうです。
(註:日本海軍艦艇写真集には80496軸馬力と書かれていますが誤植ではないかと思います)
絵葉書には排水量のみの表記ですがほぼ正確に書かれています。
前写真から数年後の榛名の様子です。
大正六年十二月からの小改装で前檣上に射撃指揮所や照射指揮所、測的所等が増設され
艦橋下部及び第一煙突側面に有った探照燈が夫々前檣中段・後部艦橋に移設されました。
押されている記念スタンプには「昭和五年特別大演習観艦式記念」と書いて有りますが
「日本海軍艦艇写真集4」11頁に全く同じ写真が有り
撮影時期は大正十二年頃とされています。
大正十三年から昭和三年にかけて行われた第一次近代化改装後の人着写真です。
余り状態の良くない絵葉書ですが、これも全く同じ写真が「日本海軍艦艇写真集4」14頁に載っていて
昭和三年五月二十五日に館山沖での公試時となっています。
この時の要目は、33825トン、75800軸馬力、25.861ノットとなっています。
第一次改装で速力の低下した金剛型は昭和六年六月に巡洋戦艦から戦艦へ類別が変更されましたが
この絵葉書ではそのまま巡洋戦艦と表記されています。
記載された艦の要目は排水量・寸法・武装共大体正確な値となっています。
全長が多少短いのは艦尾末端までではなく垂線間長での表記だからでしょうか?
前掲の写真よりやや後の状態の榛名です。
艦尾三番砲塔と四番砲塔の間に昭和六年の改装で設置された
水偵揚収用の折畳み式デリックが写っています。
この頃の水偵は海面に下ろして発進させていました。
又、前後の煙突上部が僅かに膨らんで見えるので
雨水除け装置装着後の昭和七年頃の状態ではないでしょうか。
絵葉書の艦種も正しく戦艦となっています。
第二次改装後の榛名の絵葉書を二枚連続で。
戦前の絵葉書では割と良く見かける写真で、纏めて「金剛型」として使われていますが
艦の特徴を見れば改装後の榛名であると特定出来ます。
(砲塔側面が曲面、前檣トップに主砲射撃所と指揮所が有る、第二煙突が高い、後部艦橋が煙突と密着している、等々)
上段は人着の物ですが、何でこんな色にしてしまったんでしょう?(;´Д`)
どちらも同じネガの海軍公表写真ですが、下段モノクロ版だとトップの測距儀が消されています。
昭和十二年の条約明け&事変勃発後に公表された写真だと測距儀が残っている事は先ず無いので
第二次改装が完了した昭和九年九月末頃の早い時期に撮影され発行された物かも知れません。
記載された排水量は第一次改装後と同じ、実際より少ない数値が書かれています。
前掲写真とほぼ同じ頃の榛名です。
検閲の日付は開戦直前の昭和十六年九月二十七日。
「日本海軍艦艇写真集4」39頁や「世界の艦船増刊No.681 日本戦艦史」(海人社)93頁に
全く同じ写真が載っており、昭和十年頃の撮影とされています。
この頃ですから当然の様に要目・艦種・艦名等は全く記載されていません。
・・・と、普通であれば第二次改装後はこんな感じの修整写真しか発表されていないと思って居たのですが
この絵葉書を入手した時は愕然としました。
しかも使用済みで、何と「昭和十一年特別大演習観艦式記念」の消印が!
測距儀は勿論、方向探知機のアンテナや舷側装甲帯の段差までハッキリ写っています。
これを当時実際に入手した軍艦マニアはクリヤーな画像に大喜びしたのではないでしょうか。w
この写真が戦後の本に載っていても別段驚くに値しませんが
まさか実際に戦前投函されて使われた物だったとは。
観艦式は十月二十九日、二ヵ月後の昭和十二年からはワシントン条約失効と
戦前のオープンな時代最後の一瞬、際どい所で検閲をすり抜けた絵葉書です。
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